【過去記事】2021年6月3日 考えていること
お久しぶりです。
実は、4月に転職した仕事を1ヶ月で辞めました。
今まで数々の仕事を転々としてきた私ですが、それでも「耐えられなくて辞める」というのは初めてで、無職も久しぶりで色々とワタワタしながら生活しています。
そんな訳で、
離職してちょうど1ヶ月くらいの頃に書いた文章があったのでUPします。
抽象的に書いているので分かりにくい箇所もあると思いますが、せっかくなのでそのまま残します。
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濁流の中で始まった職なし生活
職場に行かなくなって1ヶ月以上経った。
あっという間だった。
次をどうするかは全く決めずに、文字通り身ひとつで逃げ出してきた感じなので、この無職の期間は無計画に走り出した。
当たり前だけど、無計画に走り出したものだからもう暴走しているというか、うまく軌道に乗せてリズムを作るのに苦戦している。
「自分で決めたルートを一歩一歩風景を見ながら楽しむ登山」というよりは「濁流の流れに流されたまま進んでいる」という感じ。
恐ろしい潜水耐久レースからは逃げ出したけど、逃げた先が清流の小川という訳ではなかった。
とにかく時間は流れていくが視界は不透明で、行き先は分からない。
でも流石に1ヶ月も流れていると、ほんの少しだけど心地よく流れていける体勢が分かってくるし、なんとなく見えてくるし考えるようになってくる。
まずは体勢。
濁流は”よい”体勢で乗りこなす
よい体勢とは、健康的な食事・睡眠・運動を心がけて、身の回りを整頓すること。
心地いいルーティーンで動くこと。
小学1年生で習うような規則正しい過ごし方をすると、環境が整うというか、頑張る土台ができる感じ。
あの1ヶ月は暴飲暴食不眠不休だったから、ギャップがすごくて、失敗したり怠けて反省したりしながら、本当にやっと最近身についてきた気がする。
日記・運動・読書をルーティーンでやっていて、それも効果的。これらは多方面に良い影響がある気がする。
この生活のリズムを作れたのは本当にパートナーのおかげ。リズムのある生活ってずっと出来てなかったけど、毎日継続して努力してメリハリつけることが出来る彼が良いお手本になっている。
よい体勢が分かってきたことで濁流に溺れないようになってきた。
力を抜くと見えてきた自分自身
なんとか濁流を乗りこなす身のこなし方を学び、息継ぎができるようになった。
すると徐々に視界が晴れて自分の体を見る余裕ができた。
単に脱力したゆるい生活、自堕落とは違って、気持ちはピッと持ったまま体の余計な力を抜いたことで、ちゃんと自分の内部を見ることができてきた。
例えば「最近は志や野心を忘れていた」ということに気付いた。
もうすっかり忘れてたけど、以前の私は大きな目的とか志を確固として持っていた。自分がどう生きたいか何をしたいかいつでも言える、そんな私も居たんだった…。
協力隊以降はなんだか変化しすぎて、目的や志を立てられなかった。
でも、今なら立てられるかも…。そんな気分。
そのほか、結局は原点回帰するのかなってことも考えた。
今たくさん自己理解ワークをしたり思案する中で「かつて自分が苦労の末に辿り着いた真理は時間が経っても案外しっくりくる」ことにも気付いた。
”Life .Love.Laughが大事”だとか、”内省の時間が不可欠”だとか、”旅や人との触れ合いが好きだ”とか、もうずーっと前から分かってたことは変わらなかった。
自分で確信した感覚は隠れて見えなくなることはあっても、そこに存在し続けるものだ。
深呼吸できてトキめく道を選びたい
自分自身を見つめながら今1番考えているのは、進路について。
単純に就職することが目的なのでなく、自分がここ数年感じていた「自分の志や生き方はこれで良いのか」というモヤモヤと、腹を据えて向き合うことが目的。
自分のコンパスを見直して新しい地図を作ろうとしている。
ちなみにコンパスと地図、どちらも”今現在のもの”というスタンスで作成中。行動して描き直すことがあってもいい。
まだ具体的にどうするかは全くわからないけど、何でもやってみて良いんだぞと、ちゃんと思えている。
将来がまっさらなのは不安だけど、そういう不安は良い不安だから。可能性がたくさんあるということだから。
簡単そうな方法を選んだり、焦って形式上の仕事を選んだり、よく考えずにとりあえず決めたりしない。
全てを選ぶ基準は見栄えや付属品じゃなくて、自分の心。自分の心が大きく深呼吸できて、ときめく場所を選ぶ。
…
最近はこんな感じ。
迷ったり失敗したり自己嫌悪したり、考えたり認めたり、色々しながらホンの少しずつ前進しています。
そして、やっぱり文章化するが楽しい。
心情に適切な表現を作るのも楽しいし、思考が整理されるのも心地いい。
久々に書いてすっきりした。
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この記事を書いた3週間前は、本当にやっと立ち上がった所で、フラフラとまだおぼつかなかった。
今は一歩目を踏み出そうかとしてる段階で、正直焦りや不安は大きくなっています。自分の中身を見ているときの苦しさとは違って、他人や周囲の様子も見えてきたからだと思います。
そんな今の様子はまた近いうちに。